普通に生きるのが辛く感じる

普通に生きることが辛く感じるBLOG

出来るだけ人と関わらずに生きたい。

そうだにゃ。一緒にゴロゴロしようかにゃ

会社辞めたい。

お腹を撫でさせてあげるから、もう少し頑張ってみにゃよ

普通に生きる事とは、具体的にはどういう事を言うのだろう。

私が考えてきた普通は、普通に学校を卒業して、普通に就職して、普通に結婚して、普通に主婦になって、母になって、子育てが終わったら、夫婦でゆっくりetc、、、。

そういう事を普通で幸せな未来だと思っていた。

でもそれは、私の普通では無かった。

中学の頃にはすでに、人と会うと、その後、ものすごく疲れていた。

友達にも、「あなたと遊びに行くとすぐに疲れたと言うから、こっちも疲れた気になるし、それってちょっと失礼じゃない?」などと言われる始末。

自覚が無かった。

小さい頃は、もの凄く我儘だったらしく、保育所の食事が不味くて嫌いだからと最後まで食べない無駄な努力をしていた子だった。(一人で教室に残されて、泣きながら食べていたらしい)

自分の普通は人の普通では無いかもしれない。

みんなと出かけたら、「楽しい」のが「普通」で、疲れるのは「普通」じゃない

食べたくない物でも食べるのが「普通」で、食べれないのは「普通」じゃない。

遊びに出かけたくなくても、子供であれば、友達と遊ぶのが「普通」で、家で一人で過ごしたがるのは、「普通」じゃない

「立派な社会人」になる為に、子供としては、割と変わり者だった私も、母にかなり矯正され、今の私がある。

社会人として、いびつながら、何とか生計を立てられているのは、母の努力のお陰だろうと思う。ちゃんと感謝はしている。

月々のお給料にも感謝している。

でも、時々、生きるのが辛く感じる。

「一人で自由で良いじゃない」と「身体が自由に動いて、時間だってあるんだから何だって出来るじゃない」と、自分でも思うが、今の現状が辛いのに何もしたくない。変えられない。

普通に会社に行って、嫌な事はあれど、普通に愚痴を言い合って、同僚達とも円滑にコミュニケーションを取りつつ、仕事をするのが、世の「普通」なら、自分は何がこんなに辛いんだろうか

その「普通」が、本当に辛いのだ。

そもそもコミュニケーションを取りながら仕事がしたくないし出来ない。

自分の典型的な自己肯定感の低さにも原因があるだろう。

人の「普通」に合わせるのが常だった。

人の「普通」に合わせなければ、人から否定されてしまうと思っていた。

そうやって今の私は形成された。

もっと色んな気持ちが出そうだが、今日はこれまでにしようと思う。

今日もボヤキに付き合ってくれてありがとう

マズイ。泣けてきた。

大丈夫にゃよ。良いんにゃ。それで。一つ一つ気持ちを整理していくのにゃ。

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